黒鯛三平物語6


ドモドモ、寅です♪

以前、書き進めていた「黒鯛三平物語」
最近、週末の天気や家族サービスで、ちょっと釣りもひと段落しているので、心を高めるために(笑)連載再スタートです。

黒鯛三平物語5では、1999年の春に初めて、師匠のKさんに修行をつけてもらった所で終了している。

人間の記憶は曖昧なものだか、この頃から既に俺は「釣り日記」のようなものをつけていたから、その日記を紐解きながら、そして記憶の糸を紐解きながらなので、大体正確な内容ではある。

師匠は、どちらかというと豪快奔放な方で、釣りの稽古は非常に厳しかった。
どのくらい厳しかったかというと。
俺「そんなこと言ってもできないよ・・・ブツブツ」
師匠「ええい、やかましぃぃいい。さっさとやらないと貴様の首をへし折るぞ、俺は貴様を殺したくてウズウズしているんだ」
と、悟飯君とピッコロさんの修行ほど厳しかった。(嘘)

17時には終業する環境で、毎日、師匠の釣具屋さんに日参し教えを頂いていた。

当時は、仕事中も「ほぼ頭の中は釣りの事」だったのでいくらでも質問があった。

ありとあらゆるフカセ釣りに関する、黒鯛の生態に関する質問を繰返した。
今思うと、とにかく初歩的な質問の範囲で、師匠としては面白い会話でもなかったろうと思う。

そもそも、自分がどうしてここまで黒鯛釣りというミッションに熱くなったのか、そして今ではこの釣りに対して「宿命」めいたものすら感じるのかは、謎のままである。

人には色々な出会いがある。

人生で一番重要な出会いは、添い遂げる女性との出会いだと思う。幼少期、青年期を過ぎ、己の家庭を築く過程で必要不可欠な妻となる人との出会い。

離婚、再婚を繰返す人もいるので「生涯の出会い」とも言えなくなってきた昨今ではあるが、人生の大半をともに暮らすパートナーとの出会いは重要だと確信している。

そして、友人との出会い、仲間との出会い。ここで友人と仲間を分けたのは訳がある。

友人というのは、何のしがらみも上下関係もなく気の置けない存在でなくてはならない。かたや仲間というのは、ある程度の上下関係も生じ、そして、ある種の目標に向ってともに切磋琢磨し、時には競争すらしていくのが仲間なのではないだろうか?

釣り仲間、仕事仲間、といろいろあるが、やはり男と男が向かい合うときはある種の競争心、もしくは上下関係、依頼心、尊敬心などが必要不可欠であると思う。

そんな出会いと別れを繰返して人生というものは幾重にも重ねていかれた経験というもので構成され、人格というものが形成されていくのだと感じている。

話を巻き戻せば、ダンゴ釣りを始めたときも、そこで指導を受けることができる師匠に出会えていた。

そして、チヌのフカセ釣りをスタートした時、俺は良い師匠との出会いという運があった。

ここで師匠と俺が最初に所属したクラブについて少し語ろうか。

師匠も元々はサラリーマンだった。釣りが好きで好きでどうしようもなく、釣具屋を開かれたそうだ。
元々は、キャスター。つまり投げ釣りから名を馳せておられた方で、石鯛釣りもやられていたそうだ。
投げ釣りでは80センチ級の真鯛、50センチ級のアコウを釣り上げられている一流のアングラーだった。

そんな師匠もフカセ釣りに没頭し、自分の釣具屋さんを訪れる人や友人などとチヌフカセ釣りクラブ「TEAM黒鯛」を発足された。
おそらく20年ほど前の話だと思う。20年ほど前に本格的なチヌフカセ釣りクラブというのは、かなり珍しかったはずだ。少なくとも呉地区では。

同クラブは、9月~6月の期間で毎月一回の月例会を開催し、総匹数、4匹長寸、1匹長寸などを年間で競い合い、師匠は抜群の強さを誇っていた。

当時は、現在のように瀬戸内も高水温でなく、特に潮流の流れが速い蒲刈を中心とした海域では他地区より基本水温が低く、黒鯛の平均的な大きさは小振りだった。

50センチを超える「年無しチヌ」は、それこそ年に一匹出るか出ないか。これは一人で、の話ではなく「渡船全体で」の話だ。

それを示すように、現在、あけぼの渡船が渡しているポイントの名前に「48」という名前がある。今ではさほど取り立てたサイズでもないが当時は48センチのチヌは稀だったためついたポイント名だ。

そんな中、師匠は大崎下島の向い側にある三角という島の、「見た感じではチヌのポイントらしからぬ場所」で54センチの黒鯛を釣り上げられている。

いまでも、同クラブの最長寸記録(瀬戸内)のはずだ。

やはり、釣りに没頭し、人生を捧げ、そして釣り界に貢献する人には、こういった釣果があるものだ。

たしかに、驚愕のビギナーズラックもあるが、驚愕のビギナーズラックよりも、そういった確率のほうが高いと俺は思う。
そんな師匠のフカセ釣りの実力は、齢60歳となられた今でも、現在の俺より遥かに上回っておられる、と断言できる。
師匠は基本的に「超タフ」なのだ。名人といわれる方々の特長である。

店がひまなら、奥様に任せて週に3回も4回も磯に出る。基本的に未開拓のポイントを攻めたり、あまり人が釣れないポイントの攻略法を探るための釣りをなされる。

地元の釣具屋さんなので、あまりトーナメントなどに出られる事もないが、それでも、たまに出場された大会では上位に入賞されていた。
いまでは、どのような雰囲気で運営されているかは知り様もないが、俺が所属していた当時は「チヌ釣りが上手くなりたい」そして「釣りが上手くてナンボ」という、かなりハイテンションな空気がプンプン漂っていたイケイケ集団だった。

そして、とても強いクラブだった。

同地区のチヌ釣りクラブなどとなんどか対抗戦をしたが、俺が所属していた4年間は不敗だった。
広島湾をテリトリーにしているクラブに、広島湾で勝負しても圧勝した。
1999年秋、そんなクラブに、俺は正式に入会する事になった。
黒鯛三平物語1
黒鯛三平物語2
黒鯛三平物語3
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黒鯛三平物語5


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