自分史 黒鯛三平物語4

黒鯛寅次郎です。

黒鯛三平物語4です。

TEAM黒鯛さんに入部し、腕を磨く決意をする、その
きっかけとなったある事件の悲しい結末(笑)です。

1999年3月20日、己では想像だにしていなかったサイズのチヌを手中に収め、陶酔しきっていたオイラだったが、釣りの神様はそんなオイラに試練を与えたもうた。

海は荒れ、肌寒い小雨がそぼ降っていたなか、目標は達成していたが更なる黒鯛を目指して釣りに没頭していた、オイラの足元を大きな黒鯛の魚影が見えた。

「!」
ターゲットは思わず大胆だ。これはまだまだいけるぞ!!と思った矢先だった。脳裏に一抹の不安がよぎった。

風とうねりで、黒鯛二匹を入れていたスカリがかなり波に洗われていたのを思い出した。
まさかとは思いながらも、スカリを入れてあった場所ま急ぐ。

スカリは相変わらず波で揺らされていたが、先ほどとは様子が違っていた。先ほどまでは、内容物の重量(40センチ級一匹と50センチ弱一匹でおおよそ3キロくらいはあったであろう)を必死でこらえながらギシギシと窮屈そうに揺れていたスカリが、いまは軽やかに舞う蝶のように自由に荒れ狂う波を泳いでいた。

これほどまでに愕然としたことが、それまでの人生、そして1999年3月20日から今に至るまであっただろうか?

振り返ってみるとこれほど愕然としたことは思い当たらない。いや、もう一度あった。飼っていた猫が死んだときだ。

猫の名前は「ガム」。20歳前後の頃にほんの少しの期間だけ飼っていた愛おしい猫だった。夜中に歩いてタバコを買いに行く途中(当時はヘビースモーカーだった)に、ゴミ捨て場で子猫の泣き声がした。無類の猫好きのオイラは頭のひとつでも撫でてやろうと、子猫の姿を探した。しかし、泣き声が尋常ではない。まさに「命の叫び」という感じだった。

その悲鳴にも似た泣き声は、どうもゴミの山の中から聞こえてくる。ごみを懸命にのかせると小さなゴミ袋の中から(当時は市指定のゴミ袋ではなかった)子猫は悲鳴を上げていた。きつく閉じられた袋の中に手のひらに乗っかるくらいの子猫が捨てられていた。ごみの中に一緒に入っていたガムの噛んだカスが毛に絡みまとわりつき、子猫は瀕死の状態だった。

オイラは懸命に看護した。ほとんど意識がなくなっていたが、毛にまとわりついていたガムをハサミでカットしている途中で、猫の足の皮を少し切ってしまった。フギャーと猫は痛がって、思い出すと今でも申し訳なくなるが、どうもそれが「気付け」になったらしく、意識を取り戻した。ミルクを与え元気を取り戻した子猫を「ガム」と名づけた。

当時、市営住宅に住んでいたので数ヶ月一緒に暮らしたが、規則が割とうるさかったため、ガムは祖母の家に引っ越した。祖母の家は線路沿いでガムは数ヵ月後に電車に引かれて死んでしまった。その知らせを聞いたときはかなり愕然とした。ただ、いまでもガムとの思い出はオイラの脳裏に深く刻み込まれている。

話を1999年3月20日の蒲刈の磯場に戻そう。

ばけしく揺られている空っぽになったスカリを水揚げしてみると、スカリのそこがスッカリ開いていた。閉じていた尻の部分が部分が重さに耐え切れず大きな口をあけていた。
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思えば、3000円程度で売っていたスカリの値段を惜しんで、その横に申し訳なさそうに並んでいた安物の680円なりのスカリを選んでしまったオイラのケチさ加減が招いた大失敗だった。

翌日の結納で振舞うはずの、当時の自己最高記録を大きく更新した黒鯛と食べごろの40センチクラスの黒鯛は元気に海に戻っていった。彼女達の「生き運」がオイラの釣り師としての運を大きく上回ったのであろう。

想定外の黒鯛を釣ったという嬉しい現実と、スカリが破れてすべてが夢の中の出来事だったかのように消え去った。残されたのは破れたスカリだけ。そぼする雨の中、不覚にも声を上げて涙が出た。しばらく、おいおいと泣き続けてしまった。運が良いのか悪いのか、自分の置かれている境遇がたまらなかった。

釣りは誰に自慢するためのものでもなく自己満足の世界だ。己の記憶の中に確かに好敵手と渡り合い取り込んだ、という記憶さえあれば満足ではないか。とも、思わないでもなかったが、釣りを始めて一年にも満たなかったオイラとしては勲章が欲しかった。釣り上げたという実績がたまらなく欲しかった。また、翌日の結納の席でそれを披露もしたかったし、それがかなうと思っていた矢先、すべてが零れ落ち、崩れ落ちた。

小一時間ほど呆然としたが、なんとか気力を振り絞り釣りを再開した。さっきのやつらはまだ近くにいるはずだ・・・しかし。振り絞った気力を支えるほどの集中力を出せるはずも無く、さらにそれを裏付ける実力も無かった。そのまま何も釣れないまま渡船の迎えが来た。
10年前の蒲刈周辺のチヌ釣りの状況としては、いまより遥かにチヌの数も型も出ない感じだった。

当時は、チヌフカセ師の数もさほど多くなく、レベル、アイテム、情報もいまよりは劣っていたのかもしれない。

10枚釣ったら英雄、48センチクラスを釣ると「○○島の48」とポイントに名前がつくほどだった。年間にあがる50センチを越える「年無し」の数も渡船の客全体で2―3枚程度だった。それだけに逃がしたチヌはオイラの中でかなり大きな重石となった。

しかし・・・

なかなか、誰も体験しないような体験をした。今ではこの事が、その後数年のチヌ釣りを支えたと思っている。

結婚を前に、「何事も安易に安心してはいけない」「備えは万全としないといけない」「常に最悪の状況を予測し、いつでも対処できるようにしなくてはならない」といったことを学べた。

そして、「なんとしても、あのチヌよりデカイチヌを釣って今度こそちゃんと持ち帰る」という執念にも似た情熱を抱いた。

そんなこんなで、オイラのチヌフカセ道はここからスタートした。

正直、チヌに憧れを持っていた友人Nや会社の上司を出し抜いてやろう、という悪戯心程度で始めたチヌ釣り。シーバスのルアーフィッシングに憧れを持っていたオイラはそれなりの型を釣ったら、もうチヌ釣りはしないつもりでいた。

この事件が無く、無事に50センチ弱の逃げてしまった黒鯛を持ち帰り、魚拓をとり、結納の席で振舞うことが出来ていたら、チヌ釣りはそこで卒業し、違う釣りをしていたか、ゴルフでもしていたかも知れない。

それどころか、結果オーライ、ビギナーズラックを満喫し、世の中の厳しさや怖さを知らずに今とは違う人生になっていたかも知れない。それまでのオイラは安易で気楽な人生を何も考えずに進んでいた。本当に人生の変わった「分岐点」となった一日だったと思う。

そして、あのサイズをビギナーズラック以外で手にするには「上手くなるしかない」と気づいたオイラ。
正式にKさんに入門し弟子となり、「TEAM黒鯛」にも入部し腕を磨くことにしたのであった。

(つづく)

自分史 黒鯛三平物語3

時代は1999年3月に逆戻りします。

「黒鯛三平自分史③」

ダンゴ釣りから、いきなり磯に出てのフカセ釣りに転向したオイラ。
通常、ある程度、防波堤なり、地磯なりで経験を積んでから渡船で沖磯に、という人がほとんどだと思うけど、
「人生、行き当たりばったり」
のオイラとしては、出会いはチャンス、チャンスはのっかとけ、という主義、というか体質なので、渡船での釣りを繰り返していました。
しかし、護岸でのダンゴ釣りのような訳にも行かず、悩みを繰り返していたが、救世主達「TEAM 黒鯛」の人たちに声をかけられ、本格的な磯チヌ道に邁進する事になったのです。

このクラブの代表で(会長は毎年持ち回りだった)釣具屋さんを営んでいるKさんのところに、チョクチョク(ほぼ毎日)出入りするようになったオイラ。

毎日毎日、ありとあらゆる質問攻め。誠実に豪胆に応えていただいていました。

で、ある週末、土曜日にオイラは得た知識を試すために、一人で磯チヌ釣りに。
「×××に行ってみーや」
と、いうKさんのおススメポイントへ。ばっちり、攻略法も伺って、いざ出陣と、行ったところだった。
そぼ降る雨の中、教えてもらったメソッドでマキエサを撒く。

仕掛けを入れる。潮目を攻める。そして、それを丁寧に丁寧に繰り返していた。

ウキか入る。まさにKさんに教えてもらったとおりの展開だった。
「すげぇ・・・」
と思いながら、なかなかのターゲットと対決。

ガバっと口を開いてあがってきたのは40センチくらいのチヌ。

しばらくボウズが続いていたオイラは喜びの極みだった。
「一匹釣れたら次もつれるよ!!」と言われていたのを思い出し、チヌをスカリにいれ、いい気になって再度チャレンジ。
ウキにパラパラとマキエをかぶせて、アタリを待つ。

実に魅力的なウキの入り方!!!

チヌ釣りに没頭してしまっている諸兄の皆様、チヌ釣りというのは、「チヌの独特の引き」「チヌ釣りのパターン無きパターン」が最高に面白いですよね。

でも、もう一つ!あのウキがジワジワモジモジとしもって行く瞬間、あれってたまりませんよね!!!!!

と、話は戻して、ウキがモジモジと入り込む。あわす。

これまで感じたことの無いパワー。
「とっとんでもねぇ気だ、立っているのも怖えぇくれぇだ」
という感じだった(笑)

無我夢中とはこのことだが、ほぼ10年前のことだが、あの瞬間の事は、今でも鮮明に覚えている。
当時はレバーブレーキ付のリールではなく、ダイワのシーガルZを使っていた。ドラグを閉めていたので、ビビッて何度もフリーにして糸を出した。
竿は、大島の1.5号の4.5メートル。
1.5号とはいえ、短く、細い竿だ。ロッドパワー云々の話ではない。

出して、巻いて、しのいで、腰が砕けて、を繰り返し、浮かんできたチヌは、当時のオイラとしては想像もしていなかった大きな口。
ガッバッと大口を開けて浮いてきたチヌを、モタモタと何度も失敗しながらタモ入れする。
使用していたタモ枠45センチから数センチ尻尾がはみ出ている。

足が震えた。メジャーを当てると47センチ~48センチ。何度も計ったけど、当時はあまり計り方も分かってなく、検寸台に乗せてちゃんと計ったら、48.5~49くらいあったと思う。

実は、その翌日は、オイラの「結納の日」であった。

これを持っていけば、まさに結納に花を添えることができる・・・
などと、思っていたのだが、とんでも無い悲劇がオイラを待ち受けていた。
釣っている最中から、けっこう、風と波のウネリが強かった。
スカリにチヌを入れ安心し、それでも釣っていたが、正直、「今日はもういいな・・・」などと思っていた。
でも、釣りは最後まで何があるか分からない(笑・・・マジで)

マキエも残っており、もくもくと釣りを続けていた。

足元にチヌの魚影がチラッと見えた。
「あっデカイ!!まだ、いるんだ!!!」
と、思った矢先!!不安が脳裏をよぎった

(つづく)

自分史 黒鯛三平物語2

ドモドモ、黒鯛寅次郎です。
第二話です。

呉ポートピアパークのダンゴ釣りで40オーバーをゲットし、ウハウハだった。初心者時代のオイラ。
なにせ、ずらっとならんだジイチャン先生たちほとんどの人が、その場所で40オーバーを釣っていなかった。
自分のラッキーに喜んでいたが、その中の、もともとフカセ師でダンゴをしていた、オジサマが
「ニィちゃん(当時はオイラもニィちゃんだった。だって26歳だよ♪)いいの釣ったね。フカセしたらいいのに。そんなのが一日に何匹も釣れるよ」
という、誘惑のセレナーデのような言葉を発する。

とはいえ、5000円前後の磯竿をやっとこ買っていたオイラに、なにやら金のかかりそうな話は、まるでガード下で飲むのが至極の楽しみの人に、高級クラブでの楽しみを教えられたようで、戸惑いを隠せなかった。

とはいえ、この40センチ級が、いつでもバッタバタと釣れる世界(んな事はないんだけどね)、揺れる想いを体中に感じてしまった。

さてさて。

とはいえ、先立つものが無くもないけど使いたくも無く、ダンゴ釣り自体も楽しかったので、晩秋まで飽きもせず毎週ポートピア詣で。
ダンゴで釣って釣って釣って・・あら、あらら。

11月も終盤になると食いは落ち、12月になると、ジイチャン先生たちの姿もまばらになるほど釣れなくなってしまった。
せっかくの玩具を取り上げられて、ショッキング。

まさに、身も心も「冬がはじまるよ♪」であった。

そんなこんなで、メバル釣りなどをしてみるもいまいち、食味は満足するものの釣り味は・・・

どうしても、チヌが釣りたい・・・と思い悩んでいたら、仕事関係の広告代理店の方に誘われて大島に磯チヌを釣りに行くことに。
よろこび勇んでついて行って、かなり地磯を苦労の末歩いて、「さあはじめましょう」とスタートしたすぐに漁師が来て網を仕掛けられてしまい、ほとんど釣りにならなかった、苦い磯デビューであった。

フカセ釣りという選択肢を得て、これからはこれもありかな・・などと思っていたら近状の「あけぼの釣具川尻店」にて、とんでもない話を聞く。
「この間もうちのお客さんがチヌを10数枚釣って・・・」
「枚数が出ないところでも40アップが4―5枚は・・・」
と、とっても素敵な情報を耳にする。

さっそく、連れて行って下さいっっっとお願いし、初の渡船での釣り。
今となれば、この地区最高の磯のひとつである、柏島の「腰掛」というポイントに下りたものの、ダンゴ釣りしかしてこなかったオイラにとって、この急流ポイントは「新参者への洗礼」かと思うほどだった。

今思えば、よだれ物の潮の流れを前に「どうやって釣るの?」と涙目になっていたのだ。

振り返ってみると、常にオイラは新しい香辛料を求めてコショウを発見した連中のように新しい刺激を常に求めている。我ながら猪突猛進な猪年男である。とまっている事が出来ないのである。

とはいえ、初の渡船釣りはバラシ1枚とゲット2枚。多種多様の他魚もゲットして大満足だった。1月の中旬にもなるとさすがにこの地区も厳しくあまの釣れなくなった。

そんな中、異様にチヌを釣っている連中がいた「TEAM黒鯛」の面々だ。

のちにオイラの師匠となったKさん、Kさんの一番弟子Oさん、Mさんの三人組が空っぽのオイラのクーラーの中に山ほど魚をくれた。グレにチヌにもうワンサカ。

Mさんが「せっかくやるなら、ひとりでやってもうまくならんで、うちのクラブに来てみいや」と誘ってくれた。

当時から誘われることは徹底的に断らない主義のオイラは、さっそく一歩も二歩も踏み出して見ることに!Mさんの紹介でKさんの営む釣具屋さんに出入りするようになり、一緒に釣りにいってもらうことに決定したのだった。

だが、その前の1999年3月20日忘れもしない悲劇がワシを待ち構えていた・・・・

(つづく)

自分史 黒鯛三平物語

ドモドモ、黒鯛寅次郎です。
ネット界でチヌ釣りを伝道し続ける
はねちゃん→黒鯛三平→黒鯛寅次郎

この誕生の物語を残しておきます(いいよ別に^^;)

ネット界では、2001年、21世紀に「釣り代捻出のため禁煙」にトライし、それをキッカケで「黒鯛釣師の禁煙日誌」という日記うぇぶサービスの提供する、日記サイトで、ネットデビューを果たしました。

思えば、そのころが一番「腕を磨くこと」に没頭しつつ、悩みぬいていた頃でした。

その頃のハンドルネームは「はねちゃん」でした。当時のオイラのあだ名でもあったのね。
最近、ワシは・・・などと、いつも使っている言葉を使っていましたが、当時はここんところ使い出した「オイラは・・・」という感じでした。
初心に戻るつもりで、オイラに戻したわけ^^

オイラが釣りをはじめたのは平成10年の夏。

それまでは、釣りをしようとも思っていなかった。不仲な父親が釣り師で、釣りをすると親父みたいだなぁ。。。などと思っていたことと、若い時分は「ダイヤルQ2」やナンパで女の子の尻ばかり追いかけていた。

そんなワシが、釣りに目覚めたのは、保育所から一緒で、仲が良いような悪いような、それでいて信頼できる・・・まぁ親友なんだろうね、N氏が釣具店に勤め始めたのがキッカケだった。

当時、まるっきり釣りをする気の無かったオイラだけど、不思議とNの誘いは断らなかった。

これも運命なのかな???

他の友人が「釣りに・・・」と誘っていたら絶対にスタートアップしていなかったと思う。
そんなこんなで、無理やり誘われて始めた釣り。
夏の夜釣りのチョイ投げ釣りからスタートしたものの、これがまた楽しいやら楽しいやら。
いまでも、なんとなく思うんだけど、オイラは投げ釣りのほうが向いてるのかな・・・などと。。
まあ、釣ったね。めちゃくちゃ、憎まれるほど釣った。
中堅投げ釣り師だったNがほとんどボーズのようなときも
2―35くらいでキス釣りまくったり・・・

真鯛、コチ、カワハギ、キス、コチ、オニオコゼ(奇跡に近いぞ)、カレイ、アイナメ、30センチ近いベラ、なんと投げでメバルまで!とにかくチョイ投げ竿で釣って釣って釣りまくった。

そんなオイラだったが、不思議につれなかったのが黒鯛
友人Nも「どうしても釣りたい魚」というミステリアスなチヌ・黒鯛という魚に、興味深々になった。
どうしても、Nより先に釣りたい。
逆に信頼し、仲が良いからこそ、ライバル心が燃え上がるのだろうね。
という、気持ちが日に日に膨らんでいた。
と、いう事で、Nには内緒で釣り本をむさぼり読み、チヌという魚の釣り方を研究しまくった。
今になれば、そういう人たちに役に立つサイトを作ろうと思っているのかもね・・・

さてさて。。。

黒鯛を釣るには、どうもエサを撒いて釣る様だ、でも当時、なにやら古臭い本を読んだようで、チヌ釣り=夜釣りのような感性になっていた。(チヌフカセ釣り全盛の時代に古い本を読んだもんだ^^;)
で、夜な夜な、夏の夜釣りの、プチ・フカセ釣りを実践!!

30センチに満たないようなカイズを山のように釣った・・・

でも、これじゃNに自慢も出来なきゃ、報告も出来ない!!

と、さらに燃えていた気がする。逆にこのとき、運よく50クラス釣ってたら、オイラの釣りは終わってたな・・・

と、いう事で季節は秋に・・・黒鯛釣り界は夜のフカセからダンゴ釣りのシーズンに。

呉ポートピアランド、今で言うところ呉ポートピアパークだが、このいまでは埋め立てられている場所がチヌダンゴ釣りの聖地であった。

何度もかよい、地元老人達の指導を受けつつ、一発目のチヌなんと、一発目のチヌが41.5センチというなかなかの良型だった。初めて30センチを超えるチヌを手にしたのがキロ級のチヌで、オイラとしては自分の才能を疑わずにいられなかった(爆)

つづく